タバコのお話

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更新日:
 2008年6月28日






◎タバコの話(2003年5月15日)
 タバコが、世界で最初に生まれたのはアメリカ大陸でした。原産地は、南米アンデス山脈の標高2000m〜3000mの高原地帯で、ボリビア南部からアルゼンチン北部と推定されています。喫煙の始まりを確認できる最古の資料は、中米メキシコに残るマヤ遺跡のレリーフで、このレリーフにはタバコを吸う神像が彫刻されています。
 マヤ族は、生物に生命を与える太陽を崇拝し、火や煙を神聖なものとして崇める習慣がありました。彼らは火の神を礼拝する際に、火の神の霊が宿るものとしてタバコを吸っていたようです。また、タバコは神託を与えられるとして、その火の動きや煙の形から、戦の勝敗や未来の吉凶を占ったり、巨大なタバコを少年が吸い200人くらいの大人に煙を吹きかけるといった儀式も行なわれたりしていました。当初、タバコは嗜好品としてではなく、このような宗教儀式的意味合いに加え、病気にとりつく悪霊を取り払う治療用のものとして利用されており、貴重な薬剤だったようです。しかし、タバコの持つ鎮静作用や心地よい興奮作用が、やがて嗜好品としてのタバコの価値を高めていったようです。
 その後、タバコ文化はマヤ文明からインカ、アステカ文明に伝えられ、少なくともコロンブスがタバコに出会う15世紀までには南北アメリカ大陸全土に広まっていました。北米の宗教儀式におけるタバコの使われ方は、中南米と少し違ったようです。彼らは、仲間同士で親睦を深めるカルメット(平和のパイプ)を使い、神とともに喫煙することによって、政治的な義務や約束事を分かち合ったのです。神にささげるものであったタバコは、やがて、他者との一体感を分かち合うための道具に進歩したのでした。
 こうして中南米では葉巻、北米ではパイプというように、その吸い方も変化し、また吸うだけでなく飲みタバコ、嗅ぎタバコ、噛みタバコ、治療薬としての浣腸タバコなど、さまざまな利用法が開発されていきました。それぞれの地域によって、その用途は分かれていましたが、アメリカ大陸全体に残るタバコに関する宗教儀式の話で、圧倒的に多いものがあります。それは、「タバコを精霊たちの大好物、あるいは彼らへの最高の贈り物として、葉タバコやその煙を神や精霊に供えて彼らをなだめ、彼らの力を授かり、彼らの好意を当てにする」といった典型的なアニミズムの例です。

・世界への進出
 アメリカ大陸のタバコに出会った最初の人物はコロンブスです。1492年、サンサルバドル諸島にたどり着いたコロンブスは、同年10月5日、原住民から友好の品として一束のタバコの葉を贈られました。しかし、この時、コロンブスはタバコを知らなかったため、興味を示さなかったようです。彼はたどり着いた場所を黄金の国ジパングと考えていたため、黄金を探すための調査隊としてスペイン人の部下ヘレスにユダヤ人で語学堪能のトレスとインディアン二人を同行させました。11月2日のことです。この時、ヘレスは原住民たちが部落でタバコを吸う姿をはじめて目撃し、タバコ文化に触れることになりました。
 北米からカリブ海にかけては、前述のようにパイプによる喫煙文化が広がっていました。パイプは、嗜好品としてよりも神聖な祭器として、部族の首長が持つものとされており、他者との親睦を深める場合に使用していました。そのため、コロンブス一行が彼らへの友好の証として鏡や装飾品を贈ったのに対して、彼ら原住民はタバコをプレゼントしたのです。原住民たちは、彼らのY字型のパイプを「タバコ」と呼んでタバコの葉のことを「ペテュス」と呼んでいたのですが、何故か、コロンブス一行は葉の方を「タバコ」と勘違いしてしまったようです。これが現在のtobaccoの語源になっています。そのパイプの名前である「タバコ」はトバゴ島が語源とも言われています。
 17世紀のイギリスの文献にはTabaccoと記されており、その後Tobaccoとなったようです。ちなみにイタリアではTabacco、フランスではTabac、オランダではTabak、デンマークではTobak、アラビア語ではTabgh、インドネシアではTempakau、と呼ばれています。日本では煙草、延命草、長命草、おもい草、多草古、多葉粉などと呼ばれ、中国では煙火、煙花、煙草、相思草、愛敬草、淡婆姑などと呼ばれています。
 新大陸に続々と渡っていったヨーロッパ人たちは、アメリカ大陸のジャガイモやトウモロコシとともに、タバコを持ち帰っていきました。新世界の植物は、貴金属と同等の価値を持ち、その中でもタバコは最も価値の高い換金作物の一つであったため、次々と運ばれたのでした。当初、ヨーロッパでもタバコは嗜好品としてではなく、観賞用、医療用として持ち込まれていました。
 16世紀半ば、ポルトガルに住んでいたフランス人大使ジャン・ニコ(Jean Nicot)は、自分が栽培したタバコが偏頭痛や皮膚病に効くことを発見し、「ハーブの効果」という論文をまとめました。これを読んだフランス王妃カトリーヌ・ド・メディシスは、それまでどんな治療でも治らなかった自分の偏頭痛の治療にタバコを利用し、治ったそうです。このことによって、ニコは有名になり、タバコの有効成分はニコチンと命名されました。
 1571年には、スペイン、セビリアの内科医ニコラス・モナルデスは、「新世界の薬草誌」第二部で、タバコは20以上の病気(ガンや歯痛など)を治すことができ、空腹や渇きを軽減する働きをもつことを強調しました。
 さらに、今では考えられないことですが、タバコは万能薬でペストの予防にもなると言われたため、イギリスでは、小学生が通学かばんの中にパイプとタバコを必ずいれて登校し、授業が一区切りつくと、教師の命令で生徒たちがいっせいにパイプに火をつけて、煙を吐き出さなければならなかった時代があったようです。
 当時のヨーロッパ医学は2世紀に生まれたガノレス派の体液病理説が基礎となっており、タバコは体内の余分な粘液を排泄する効果があるとされていました。また、基本四体液の一つである黒胆汁が鬱積するためにおこる憂鬱症の治療にも喫煙が有効とされ、当時の説明は説得力のあるものだと考えられていました。
 17世紀には、三十年戦争の兵役でイギリス、オランダ軍は疫病を予防する薬品として、タバコを持ち歩きました。ヨーロッパ中を巻き込んだこの戦争で、イギリス、オランダ軍がタバコとともに各地を歩いたことによって、ヨーロッパ全土にタバコが広まっていったようです。
 このように、医学における信用が高まったタバコは、始めは医薬品として広まり、16世紀以降、徐々に嗜好品として人々の生活に入り込んでいきました。砂糖、チョコレート、コーヒー、茶などの大航海時代の産物は、そのエスニックな味わいから、まず、社会の上層階級に受け入れられ、次第に下層階級に広まったていったのに対し、タバコは、始めから社会のあらゆる階層に受け入れられました。
 なお喫煙の方法は、北アメリカに入ったイギリスではパイプが主流となり、中南米に入ったスペイン、ポルトガルなどではシガー(葉巻)やチューイング(噛みタバコ)、スナッフ(粉末を鼻から吸い入れる)が主流となったように、ヨーロッパでの喫煙は、アメリカ大陸の喫煙文化に影響されていました。
 大航海時代の流れにより、タバコは世界を駆け回りました。スペインは太平洋を横断してフィリピンにたどり着き、1557年にはシガーを伝え、栽培をはじめていました。スペインと競合してアジア進出したポルトガルは、ヨーロッパで最初にアジアへたどり着いたものの、その時はまだ、ヨーロッパでのタバコ文化が完全に広まっていませんでした。アジアへタバコを広めたのは、むしろポルトガルの後を追ったイギリスやオランダで、その影響からアジア諸国にはパイプという形でタバコが伝播しました。
 オスマントルコの歴史書によれば、1600年ごろには、イギリス人やヴェネチア人が、病気に効く薬としてタバコを売っていたといいます。またインドでは、ムガール帝国のアクバル大帝が、1605年にパイプを試したという記録があります。日本には、1601年にフィリピンから薬としてのタバコがもたらされ、1609年にキセルを使った記録が残っています。中国でも16世紀初頭には、ルソンからもたらされた薬草が優れた効力を示すと信じられていました。このように、始めは薬として、やがて嗜好品として、タバコはヨーロッパ人に発見されてから約100年の間に世界を一周したのです。

・禁煙の歩み
 タバコが浸透していくと同時に、禁煙も始まりました。イギリス王ジェームズ1世は1604年、人々がタバコに溺れ、散財したのでは国力の低下につながるとして、禁煙政策を打ち出しました。ただし、この時は喫煙を禁止するのではなく、税金を一挙に40倍に吊り上げたのでした。その税収を新世界探検のための造船にあてたりしたが、結局、無理がたたって、この禁煙政策は失敗に終わりました。
 キリスト教の世界でも禁煙が始まりました。タバコは異教徒の文化であるとして、また、その幻覚性や依存性への恐れから、宣教師たちがタバコを吸うことは規制されていました。しかし、大航海時代の流れにより早くから船に乗り世界中を旅していた宣教師たちは、早くからタバコに慣れ親しんでおり、スペイン、イタリアではそれが問題になっていました。ローマの教皇ウルバヌス八世は、1642年にセビリア司教座大聖堂でタバコを用いた者は直ちに破門するとの教書を出し、インノケンチウス十世も1650年にサン・ピエトロ大聖堂でのタバコの使用を同じように禁止しました。ロシア正教会でも禁煙令、イギリスでも、その後、ビクトリア女王が禁煙令を出しましたが、それぞれ完全にタバコを廃止させることはできませんでした。
 禁煙は、キリスト教圏だけにとどまらず、イスラム主義国では、さらに異文化に対する拒絶反応が激しかったようです。トルコに喫煙の風習が伝わるとまもなく、アフメット一世は、タバコがキリスト教の悪魔によってもたらされたもので、コーランの教えに反するとして弾圧を開始しました。彼の子であるムラト四世が最も厳しく、処罰した違反者は5年間で25,000人にのぼりました。ムガール帝国のジャハーンギール皇帝が1619年、ペルシャのアバース一世が1629年に、それぞれ禁令を出し、唇や鼻や耳を切り落とすといった残虐な刑を下しています。

・日本への伝来
 1542年、鉄砲が日本に伝来した時、日本人は、初めて西洋人のタバコを目撃しました。日本人はその異様な光景に驚き、「南蛮人は腹の中で火を焚いとる」と言ったようです。タバコが正確に日本に伝来したのは、その半世紀後の1601年、スペインの聖職者が、伏見で徳川家康にタバコの種子を献上したとの記録がスペインに残っています。
 伝来後間もない1605年頃には京都でタバコが流行し、やがて全国に広がっていきました。秋田県、みちのくの院内銀山では、1612年までに葉タバコの専売制が布かれているし、1613年には九州の日出藩で、他国産の葉タバコと味比べが行なわれています。喫煙が一般に普及するのに、半世紀から一世紀かかったヨーロッパに比べ、日本はかなりの速さで全国に普及していったようです。
 その理由は、やはりタバコの医療的役割です。南蛮人の渡来とともに梅毒が伝わり、日本人たちはしばらく梅毒に悩まされました。そうした時期に、特効薬としてタバコが紹介され、人々は真っ先にとびついたのです。日本には、もともと咳の病気の治療法として、フキノトウを乾燥させ、燃やして、その煙を竹筒などで吸うという方法がありました。
 例えば、『慶長見聞集』という本に「序例という本に、ある人久しく嗽(せき)を病む。肺虚して寒熱を生ず。三両(約48グラム)の款冬花の芽を焼いて、煙の出るを待ち、筆管でその煙を吸う。口に満れば、これを呑む。飽きれば止める。これを5〜7日間、続けると治る。」、と書いてあります。このように、日本人は昔から煙による治療を信じていたため、タバコを万能薬として捉えることに抵抗はなかったようです。
 こうして江戸時代には、タバコは庶民の風俗に完全に溶け込み、人々にとっては数少ない身近な楽しみとなり、生活のなかの憩いとして、疲れを癒すものになっていったようです。また、会話をしながらの一服は話の間を保ち、来客にはもてなしの一つとなるなど、社交の場でも取り入れられていきました。日本では、シガーではなくもっぱらパイプが流行し、美術的価値のあるパイプなども作られるようになりました。タバコはかっこよさの象徴となり、歌舞伎や浮世絵、文学など、様々な場面で登場し、庶民の生活に浸透していきました。「かぶき者」とよばれた男たちは、時代の流行をいち早くキャッチし、かっこよさの象徴であるタバコを吸うようになりました。特に、キセルの中でも1メートルを越えるような大キセルを好んだようです。
 最初のタバコに対する禁令は、こうしたかぶき者たちを取り締まるために1609年に発令されました。以降、幕府は、喫煙を異国から伝わった無益な風趣として非難し、タバコの栽培や売買までも禁止する法度をたびたび出しましたが、効き目がなく、禁煙令は、日本において実質15年ほどで沙汰止みになりました。そして禁煙令にかわって1642年の大飢饉を景気に、本田畑でのタバコの耕作を禁止、ないし制限する御触書が出されるようになりました。しかし、これもあまり守られず、幕府からのタバコ耕作規制令も18世紀に入ると見られなくなり、諸藩の中には産業としてタバコの栽培を奨励するところもありました。
 そうして、人々の間には根強くタバコが広がっていきました。一般の人々が使うキセルは50センチぐらいの短いものとなり、火皿も小ぶりになりました。小さな火皿に刻みタバコを一つまみひねりこみ、3、4回吸って灰を捨てる一服の時間が、日本人のテンポにマッチしていたものと思われます。生活の句読点としての小休止の代名詞、「一服する」、「たばこにする」は、タバコがいかに彼らの生活に関わっていたかを物語っています。

・タバコによる健康被害
 このようにしてアメリカから全世界に広まったタバコですが、最近では、タバコを原因とする健康被害について議論されています。
 タバコの煙の92パーセントは気体で、8パーセントが粒子です。気体中に含まれる物質には、有害なアセトアルデヒドや、アンモニアなどがあります。タバコの煙の中には、一酸化炭素が環境基準の2000倍から7000倍、二酸化硫黄が1000倍、窒素酸化物が2000倍くらいあります。これらが咳やタンの原因になっていると言われています。
 このほかに「ニコチン」が含まれています。これは猛毒です。タバコに含まれるニコチンは、両切りタイプのタバコ(フィルターなし)で10本が致死量だと言われています。人間の白血球に作用して、炎症を起こしたり、肺を損傷するとされています。しかし、タバコの煙を吸っていること自体は、自ら理解して吸っているならば問題ではないと思います。しかし、問題は、タバコの先から昇る副流煙を強制的に吸わされてしまう周りの人達です。こちらの方が、危険だと言われています。
 そんなにも危険なタバコをどうして吸ってしまうのか。もちろんニコチンの麻酔作用というのもありますが、有名なフロイトの精神分析的考察によれば、人がタバコを吸う主な理由は、味がいいとか香りがいいからという意識的なものではなく、幼児期母親からの授乳を通じて得られた快感が、タバコを口にくわえることによって無意識のうちに呼び覚まされるから、だそうです。
 タバコを1本吸うのに必要な空間を考えます。日本のビル管理法では、空気中の浮遊粉塵濃度は1m2あたり0.15mgまでとなっていますので、タバコ1本につき、24畳が必要になります。2003年5月に施行された健康増進法では、学校、病院、事務所、百貨店など、多くの人が集まる施設では、受動喫煙の防止が定められています。日本に限らず、人が集まる場所では、喫煙できなくなっていくのが先進国の流れのようです。


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