日本人のルーツのお話

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更新日:
 2008年6月28日



◎日本人のルーツ(1996年2月7日、朝日新聞)
 渡来人達のルーツの一端が、「中国・山東省にあった」ことが最近、明らかになった。人類学会では骨の形態学的特徴や遺伝子の分析結果などから、縄文人のルーツは東南アジアではないかという見方が有力。そして現代の日本人は、その縄文人と、大陸からやってきた渡来系の弥生人の混血がもとになって誕生したという説が定着している。
 形質人類学者の松下孝幸氏によると、比較的人骨のよく残っている九州地方の場合、弥生時代には少なくとも三つの形態的に異なる人々が住んでいた。居住地の名前から、それぞれ北部九州・山口型、西北九州型、南九州・南西諸島型と呼ばれている。
 北部九州・山口型の弥生人の特徴は身長が高く、面長で、彫りが浅いこと。山口県土井ヶ浜遺跡の場合、男で162.81cm、女で149.97cmあった。これに対し、西北九州型は身長が低く、男で158cm、女で147cm程度。また鼻の付け根から下あごまでが短く、顔の幅が広くて鼻が高く、さらに彫りが深いという特徴を持つ。一方、南九州・南西諸島型は頭を上から見た形が円に近く、顔も小さいうえ、身長は西北九州型よりもさらに低いという。
 「西北九州型は形態的に縄文人によく似ており、おそらく彼らの子孫であった可能性が高い。一方、北部九州・山口型は、それまでに見られなかった形態的な特徴を持っていることから、渡来系としか考えられない。」と松下氏は話すが、渡来人の「故郷」がはっきりしなかった。
 渡来人の母地と考えられる中国にある、弥生時代の初め頃にあたる約2000年前の古人骨の資料を探し、山東省の東周代から前漢代の遺跡で出土した人骨430体のうち、保存状態の良い110体を調べたところ、日本列島の北部九州・山口型に極めて近いことが分かった。さらに同遺跡からは南九州・南西諸島型の特徴を示す人骨も一体見つかった。このため、南九州・南西諸島型の人々も大陸からの影響を受けていると考えられる。また、西北九州型の弥生人については、渡来人の影響をほとんど受けていないことが改めて確認された。「交流はあったのだろうが、西北九州型は漁労、渡来人は農耕と生活基盤が異なっていたため、混血があまり進まなかったのではないか」と話す。
 ルーツの一端が明らかになっても、渡来人の故郷がすべて明らかになったわけではない。中国の他地域の人骨の研究が未調査のため、同遺跡と他地域との関係が不明だからだ。また、日本列島に到る途中のルートに当たる朝鮮半島の同じ時期の状況もよく分かっていないためだ。
 

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