貴金属のお話

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更新日:
 2008年6月28日








貴金属(precious metals)
 貴金属の代表は金である。人間の歴史は富と支配を得るための戦いの歴史であり、文化は富と支配と人間の相関関係から生み出されてきた。美しい色と永遠の輝きゆえに古来宝物の筆頭にあげられ、富と権威の象徴となってきた金は、まさに人間の歴史と文化を彩る中心的存在であった。
 エジプトの王墓を飾るきらびやかな金文化をはじめ、あらゆる王侯貴族の周辺には必ず金が存在した。単に通貨の基本単位であったという以上に金を所有したいと思う人の心には、他の金属とはまったく違う長い歴史のなかでの人間と金とのからみ合いがかくされているのである。かくも人の心をとらえて離さない金とはいったいどんな金属なのか。永遠の輝きという通り金は美しい黄金色を呈し、かつさびない。空気中でも水のなかでもまた純酸素のなかで熱しても反応しないからさびないのである。したがって、何千年も昔に埋没したものでも金だけはそのままのすがた形で出てくる。
 また、金はやわらかく加工が容易なことも古くから装飾品などに使われた理由の一つで、1gの金を細い線にすれば3,000mにも伸び、金箔にのばせば1万分の1mmにもなって、光が通るくらい薄くすることができる。そのうえ、電気も熱も銀・銅についでよく伝えるから LSI のリード線として使われるのである。金箔は薄く延ばした金板を和紙にはさみ、何枚も重ねたものを鹿皮で包んで木槌で打ち延ばしてつくる。
 日本で発見された最古の金製品は、福岡市郊外の志賀島の土中から発見された金印であるが、これは後漢の光武帝が倭奴国王に賜ったもので中国製である。東大寺の廬舎那仏いわゆる奈良の大仏は、約1,200年前に聖武天皇によって造られたが、当初は金メッキされていた。当時の金メッキの方法は、磨いて梅酢で洗った金属表面に金と水銀を2対1の割合で混ぜてつくった金アマルガムを鉄へらでこすりつけ、炭火で熱して水銀を蒸発させる方法で、大仏のメッキをするのに5年を要している。
 この後、仏教文化を彩ったのは金箔で、仏像・仏具や建造物の内部はもちろん、金閣寺や平泉の金色堂のように建物の外側にも金箔が用いられた。さらに富裕階級の家具・衣服などにも金箔・金糸が使われてゆく。徳川家康が築いた名古屋城天守の金の鯱は檜の上に鉛板、さらに大判・小判を打ち延ばした金板を張りつけたものであったが、後年、藩財政の窮迫のたびに改鋳された。戦災後、再建された現在のものは、青銅製の本体上に0.15mmの厚さの18金板を張りつけたものである。
 純金は、やわらかく加工は楽であるが、実用化するには不便なのでふつう銀あるいは銅を加えて合金として使う。金合金の質を表すにはカラットで示すが、24カラットを純金とするので、18K(カラット)は75%の金品位をもつことを示している。金貨にも変形や磨耗を防ぐため、ふつう銅10%の合金が用いられる。金の色沢を模倣した、いわゆるイミテーション=ゴールドはいろいろなところで使われており、額縁や腕時計などの表面を金色にするのには硫化錫を金粉塗料として使ったり、窒化チタンを真空蒸着させたりする。
 一方、合金で金色をしたものとしては、通称アルミ金と呼ばれるアルミ青銅がある。この合金は、3〜5%のアルミニウムと、残りが銅の合金で、鮮やかな黄金色を呈するから、展示用の金塊の素材とすることがある。79%銅、8%亜鉛、3%ニッケルに少量のマンガンを含む合金は、カクタスゴールドと呼ばれ、18Kの金に似た色沢をもち、さびないので装飾品用として使われる。
 人類は金を求めて未知の国へ探検に出かけ、また、そのためには戦いをも辞さなかった。中世ヨーロッパでは、卑金属を金に変えようと錬金術が長い年月にわたって流行した。その目的は当然達せられなかったが、多くの優れた人々の努力は近代化学の源となったのである。
 金は石英質の脈状鉱床として産することが多いが、風化して川床にたまるといわゆる砂金となる。砂金は他の砂質と“ユリ盆”などを使って比重差で分けて採取する。金が発見されると、近くから遠くから金を求めて山師たちが集まり、これを相手に商人たちがやってきてテント村はたちまち町と変わる。これがゴールド=ラッシュで、19世紀アメリカ西部、アラスカ、カナダ、オーストラリアなどで相次いでおこった。
 カリフォルニアに数万人の山師が押し寄せたのが1849年であったことから、フォーティナイナーズの語を生んだ。オーストラリアでは1872年、250kgもある大金塊が発見された。現在世界一の産金国である南アフリカで金鉱が発見されたのは1885年で、テント村から現在のヨハネスブルク市が生まれたのであった。
 鉱脈から直接金鉱を採掘し、金を製錬する場合は、鉱石を細かく砕き、シアン溶液に金を溶かし出してから亜鉛の粉末を加えて金を沈殿させる方法がよく用いられる。これを“青化法”と呼ぶが、大規模でないと成り立たないので、小さい金山では鉱石のまま売り、買われた金鉱石は銅または鉛の製錬工程に溶剤として加えられ、副産的に回収される。
 金は現在では南アフリカ、ソ連が主要産出国であり、日本はわずか0.5%を占めるにすぎないが、かつての日本は産金国であり、海外への流出も多かったので、マルコ・ポーロの「東方見聞録」に黄金郷ジパングと書かれたのも理由のないことではなかった。
 貴金属は、珍重された上に貨幣としての価値があったから重量、含有量を調べるための分析法が古くから発達した。“試金石”というのは、黒い石の面に金をこすりつけ、標準合金によるものと条痕の色を比較して品位を判定した分析用具である。金を含む鉱石中の含有量は1t中1g、つまり100万分の1を十分な精度で判定できることが必要である。標準分析法は、鉱石約30gを酸化鉛や溶剤と一緒に溶融還元し、生成した金属鉛中に金銀を吸収させたのち、これを分離し、骨灰の皿の上で加熱して鉛を酸化除去して残った金銀粒を精密に秤量して含有量を知る方法である。金銀の分離には硝酸を使う。鉛に吸収させたのち、酸化除去する方法を灰吹法といい、金銀製錬法としても古くから用いられた。この方法は現代の銅製錬などで副産的に金銀を製錬する工程にも利用されている。
 銀・白金はいずれも銀白色の金属であるが、金とともに貴金属として広く使われてきた。とくに銀は金とともに本位貨幣として重要な地位を占めてきた。銀貨は金の場合と同じく銅との合金を用いるが、7.5%銅を含む銀を“スターリング=シルバー”と呼び、優良銀貨の代表的組成としている。
 銀の最大の用途は写真用感光材料で、フィルム、印画紙などに塩化銀や臭化銀を塗布して用いる。西欧では食器を中心に日用品や室内装飾用に古くから使われた。
 白金は金・銀のかげにかくれて目立たないが、金よりも重く、10cm角の立方体で21kgを超える。18世紀前半に発見された金属で、化学的に安定で融点が高く、触媒作用があるので、化学工業・化学実験用・電気接点などに多用される。ハクキン懐炉はベンジンの燃焼に白金触媒を利用したものである。化学実験器具としてはルツボや電極などに使われるほか、白金と白金ロジウム合金の接点を高温部におくと熱起電力を生じることを利用して高温計として用いられる。さらに指輪など装身具として珍重されるほか、歯科合金や永久磁石にも使われる。白金は金銀あるいは量産非鉄金属の副産物として回収される。南アフリカ、ソ連、カナダなどが主要産出国である。


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