狂言のお話
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更新日:
 2008年6月28日







狂言とは
 狂言は、とほぼ同じ頃に発生しました。この対照的な二つの演劇はセットで演じられることが多く、幽玄の世界から笑いの世界へと観客の心をリラックスさせてくれます。登場人物は、能と違って貴族や歴史上の人物ではなく、底抜けに明るい太郎冠者を主とした親しみやすいキャラクターで、当時を描いた笑いには現代に通じるものがあります。その頃の日常的な話し言葉を使っているので内容もわかりやすく、能と共に歩んだ長い歴史のなかで洗練された「笑いの芸術」といわれています。
 本狂言の他に、能の間で解説的な役割をする間狂言や、祝言の式で演じられる「三番三(三番叟)」(さんばそう)など特殊なものもあります。

歴史
 奈良時代に中国から渡来した「散楽」(さんがく)が、日本化して平安時代に「猿楽」(さるがく)となり、鎌倉時代を通して悲劇的な歌舞劇である「能」に対して、猿楽本来の笑いの要素がせりふ劇となり「狂言」が生まれました。そして能との組合せによって発展し、中世庶民の間に滑稽・物真似の笑いをまき散らし、冗談や洒落を本位とすることなどにより、笑いの度合いを次第に高め、洗練された芸能になっていきました。
 室町時代の後期に大蔵流・和泉流・鷺流が成立します。幕府直属に大蔵流・鷺流、尾張徳川藩と宮中に和泉流が勤め、江戸の混乱期を経て鷺流は廃絶します。その後、大正・昭和と時代の荒波をくぐりぬけ、現在は和泉流、大蔵流の二流が活動しています。

演者
 狂言の主役を演じる人を能と同じく「シテ」と呼び、シテは主役であると同時にその番組の演出家の役割も果たします。
 また、シテの相手役を勤める脇役を「アド」と呼び、語源は人を率いる意味の「あどもふ」や、挨拶して応答する意味の「挨答」(あいとう)がなまったものなど、様々な説があります。また、同じような性格の者が一群となって登場する場合は立衆(たちしゅう)と呼び、統率者を立頭(たちがしら)と呼びます。

■狂言の流派
 現在は、大蔵流と和泉流しか残っておらず、大蔵流は東京・関西に、和泉流は東京・名古屋に主な地盤を持ち、一般的には家柄単位で演じられます。芸風は、流儀よりも、その土地柄や役者の個性に左右されるところがあります。

和泉流
 芸風は、歌謡的要素が現代的で叙情性が豊かで、狂言の型を尊重した柔らかい都会風の狂言と評されている。

・和泉流+三宅藤九郎家(東京)、狂言共同社(名古屋)、野村万蔵家(東京)、野村又三郎家(名古屋)

大蔵流
 東京の大蔵流は、格調を重んじた芸風。関西の大蔵流は、くだけた芸風と評されている。

・大蔵宗家(東京)、茂山千五郎家(京都)、茂山忠三郎家(京都)、善竹家(関西・東京)、山本東次郎家(東京)

■登場人物
 狂言の登場人物は、身近な親しみのおける普通の人々です。殿様や大名も出てきますが、だいたい家来にバカにされたり、ドジだったりします。いずれも、どこか憎めない愛すべき人物たちで、現代人と共通するところが多くあります。

太郎冠者、次郎冠者
 狂言では従者、召使の身分を表し、大名・主に仕えるものの役柄。狂言の中でも最も親しみやすく、明るく酒好きで、ずるがしこいユーモアあふれる人物。

大名
 狂言に登場する大名は荘園の領主クラスで、格があまり上ではなく、いつの時代にもいそうな尊大な人物が風刺されている。太郎冠者に騙されたり、ドジな所がある。

山伏・僧侶
 無学なくせに知識をひけらかしたり、斜に構えているようで実は物欲・金欲の亡者。(人の心理を笑いにした狂言は、宗教者もその対象となる場合がある。)

※ この他、すっぱ(詐欺師)、鬼、物の怪など15、6種類の物に統制されています。いずれも、狂言独特の解釈で描きだされています。



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