イネの話
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更新日:
 2017年1月3日


◎イネ(2017年1月3日)
 イネ(稲、稻、禾)は、イネ科イネ属の一年草の植物です。世界中でイネ科イネ属に属しているものは20数種類が知られています。しかし、そのほとんどは野生種で、栽培されているのはアフリカイネ(学名:オリザグラベリア)とアジアイネ(学名:オリザサティバ)の2種類だけです。主にアフリカイネはアフリカ大陸のニジェール川流域で栽培され、アジアイネは世界中で栽培されています。アジアイネには、ジャポニカ(日本型)、ジャバニカ(ジャワ型)、インディカ(インド型)があります。
 稲の語源は諸説があり、はっきりしていないようです。例えば、食糧として重要なものであることから、「いひね(飯根、飯米)」が転じて「いね」になったとする説、藁を加工して多くのものが作られて利用されてきたことから「いのちね(命根)」、「いきね(生根)」、「いきね(息根)」などと呼ばれ、これらが省略されて「いね」になったとする説、稲の藁は布団や畳などに加工され、古代人は藁を敷いて寝ていたことから「寝ね(いね)」となったなど色々あるようですが、どれも後付けとしか思えません。
 稲は中国南部の雲南~ラオス、タイ、ビルマ周辺に広がる山岳地帯で生まれたとされています。そこから北の方に広がっていったのが、寒さに強いジャポニカという種類のイネです。中国などの温帯での栽培に向くイネです。
 南に下って、インドや東南アジアに広がったのがインディカという種類です。湿度と気温が高いところ、雨季と乾季がある気候での栽培に向いています。
 また、インディカと同じく南に広がり、熱帯の高地でつくられるようになったのがジャバニカという種類のイネです。寒さにつよく、乾燥した土地でも育ちます。やがてイタリア、アフリカの地中海沿岸、マダガスカル、南米にまで広がっていきました。
 日本には縄文時代後期に入ったと考えられていますが、定説はないそうです。中国の古い遺跡からジャポニカ型の米が出土しているので、中国北部のものが朝鮮を経て伝わったという北方説、江南地方(長江下流)の南方民族が、北九州へ移住して伝えたという長江・東シナ海ルート説、中国南部の華南から台湾、沖縄を経入ったとする南方説などがあるようです。
 日本国内での広がりは、沖縄、九州から北上していったと考えられています。およそ2,000年前の弥生時代中期には、本州の一番北(今の青森県あたり)でも、イネがつくられていたようです。北海道は一番遅く、明治時代になって、やっと作られるようになりました。
 稲の種子からもみ殻を取り除いたものは「米」と呼ばれ、日本人の主食となっています。現在、日本人1人当たり、年間約62kgのコメを食べていますが、昭和40年代までは、1人当たり約100kgも食べられていたそうです。




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