桜エビのお話
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更新日:
 2020年8月8日






◎桜エビ(2011年5月8日)
 サクラエビ(学名:Lucensosergia lucens)は、美しい透明な桜色をした4〜5cm位の小さな海老です。甲殻類エビ目(十脚目)、クルマエビ亜目、サクラエビ上科、サクラエビ科、サクラエビ属(Sergia)のエビで桜海老、桜蝦、十脚などとも書かれる深海に生息する小型のエビです。生きている時、体は透明ですが、甲に赤い色素を多く保持しており、生体は透き通ったピンク色に見えます。体には160個ほどの発光器があり、夜の海ではキラキラと輝き、「海の宝石」と呼ばれる由縁となっています。死後には美しい紅色になります。
 日本では静岡県の駿河湾の他、東京湾や相模灘などに分布しているようですが、漁獲対象となっているのは駿河湾だけという貴重な海老です。海外では、台湾の東方沖、西南沖にも生息しており、中国語では「櫻花蝦」、「發光櫻蝦」、台湾語では「花殼仔」と呼ばれているそうです。台湾南部地域の名産になっています。
 「桜海老」という名前は、静岡県清水区由比今宿のサクラエビ加工業「望仙」店主の望月由喜男さん(72歳、2019年12月31日、静岡新聞より)の曽祖父が名付けたのだそうです。1887年(明治20年)に創業した曽祖父、仙吉さんが甲府に行商に出向いた際、「えびっかー(えびっかす)」と叫びながら売っていたところ、地元の人に「こんなにきれいな海老を、そんな呼び方をしたら可哀想だ」と言われ、「じゃあ、サクラエビと呼ぼう」と思いついたのが最初だと、母親のみつえさんから聞いて育ったのだそうです。
 大正初期に静岡県が刊行した「県之産業」には、「干したエビの色がすこぶる美しく、桜を想像させる」として「1897年(明治30年)に甲府の共進会で命名された」と記載されているそうです。ただ、サクラエビは1894年(明治27年)以前にも獲れており、由比と蒲原では「サクラエビ」と呼ばれていたようです。望月仙吉さんは、甲信地方に商品を売り込む際、需要が高いことを知り、「特別な海老」と位置づけて、地元でも呼ばれていた「桜海老」という名称で売り出したのかもしれません。その意味では地元で呼ばれていた通称を広めて、公称にした、ということかもしれません。
 桜海老の産卵期は、毎年5月から10月頃までの期間で、そのうち6〜8月頃が最盛期にあたります。このため漁が行われるのは毎年、春(3月下旬〜6月上旬)と秋(10月下旬〜12月下旬)の期間だけです。6月11日から9月30日までは繁殖期のため禁漁となっており、冬はエビが深くにいるため休漁となっています。
 メスは交尾後に直径0.25mm程度の小さな球形で淡い青色の卵を800〜2300個程度、水深20〜50mの海中に放出します。桜海老の卵は1日半で孵化しますが、親海老とは全く違った形をしています。海中を孵遊しながら変態を重ね、1ヶ月くらいで稚海老となり、10〜12ヶ月で成熟した親海老になります。そして、産卵後2〜3ヶ月で寿命となり、生息期間は15ヶ月ほどです。
 桜海老は、昼間は水深200〜300mほどの場所にいて、夜になると海中のプランクトンを求めて水深20〜50mぐらいまで浮上する日周鉛直運動を行います。このため桜えび漁は、風や波がない天候の良い夜間に行われます。
 桜えび漁は、1894年(明治27年)12月、由比町今宿(現、静岡市清水区)の漁師、望月平七さんと渡邉忠兵さんが鯵(アジ)の夜曳漁(よびきりょう)に出漁した際、網を浮かせておくカンタ(浮樽)を積み忘れたため、網を海中深く沈むのにまかせて漁をしたところ、偶然、大量の桜海老が獲れたことがきっかけだそうです。1石(180リットル)も獲れ、当時の3年分くらいの水揚げ量だったらしく、上述した望月仙吉さんは、孫だったみつえさんに「あまりに大量で扱いに困った」と言っていたそうです。このことをきっかけに翌1895年(明治28年)には由比で20統(統は網を引く2隻の漁船をいう)がサクラエビ漁を始め、1896年(明治29年)には隣町の蒲原町でサクラエビ漁が始まったそうです。
 サクラエビ漁は、夜に2隻1組で網を引き、網を揚げる際には2隻が横付けになります。このため風が強かったり、雨が降ったりすれば、事故が起きやすいため、漁を行わないそうです。由比では、午後1時に天候などを見て、漁に出るかどうかを決めるそうです。その判断は慎重で、3月下旬から6月下旬まで行われる春漁の期間中、実際に出漁するのは20日ほどしかないそうです。
 明治時代までは自由操業のため、漁獲量が増えていきましたが、大正時代になり許可制となり、静岡県から許可を得た漁業者以外は漁にでることができなくなりました。さらに漁が盛んになるにつれて漁獲量の競争が激しくなったため、1917年(大正6年)からは漁船の数も制限されるようになりました。
 1927年(昭和2年)、サクラエビが不漁になったため、由比町の望月伊之助さんらがエンジン付きの舟で焼津沖まで出かけて漁をしたところ、サクラエビを水揚げしたそうです。この頃から焼津周辺の漁民もサクラエビ漁を行うようになったそうです。さらに1940年(昭和15年)には、蒲原の加工業者が大井川町に移り住み、サクラエビの加工工場を建設し、由比や蒲原行われていた加工技術が伝わり、焼津や大井川町でも加工が行われるようになったそうです。
 現在の桜えび漁では、「プール制」と呼ばれる操業体制をとっています。「プール制」とは、「水揚げした金額を均等に分配する方法」です。おおまかに言うと、10隻の船で漁獲した桜えびの漁獲高が1000万円だった場合、1000万円÷10隻=100万円で、1隻当り100万円が分配される仕組みです。
 桜えび漁は漁場が狭く、資源が限定されているため、漁船毎の競争が激しくなると獲りすぎによって単価が下がり、漁業者の生活が苦しくなります。このため、1966年5月から由比漁業組合で導入が試みられました。その後、1968年の秋漁からは、蒲原町と大井川町も導入し、地区別プール制に発展しました。さらに1977年3月には統合され、「総プール制」となっています。現在では、資源保護の観点かも考慮し、資源管理を行いながら漁業者の生活が成り立つような制度になるよう改良されているそうです。
 この貴重な桜エビを生で食べられるのは産地ならではです。下の写真を見てください。海のルビーと言った感じですね。桜エビは皮も頭も丸ごと食べられるため、カルシウムなどの栄養素が豊富だそうです。旬の時季だけにいただくことができる新鮮な生サクラエビ、是非、食べてみてください。

◎追記(2020年7月20日)
 漁獲量は、最も古い記録が1901年(明治34年)の294tonだそうです。1960年(昭和35年)から1978年(昭和53年)くらいまでは3,000トン〜6,000トンくらいの漁獲高がありましたが、その後は3,000トン〜2,000トン、さらに2002年以降は2,000トン〜1,000トンと徐々に減っていきました。2010年(平成22年)は942トン、2011年(平成23年)は1,080トンと、この後は1,000トンがやっとという漁獲高になり、2018年以降は不漁が続いていました。
 2018年の春漁は4月10日〜6月3日の期間中の19日間の出漁で、水揚げ量は約312トンでした。この数値は、春漁として記録が残る平成元年以降で最低の水揚げ量でした。また、秋漁は2018年12月10日の資源調査によって、水揚げに適さない体長35ミリメートル以下の稚エビ(0歳エビ)が63〜76%だったため、12月13日に禁漁と決定し、史上初めて一度も出漁しないで秋漁が終了しました。
 2019年の春漁は、3月24日から6月5日の予定でしたが、強風の影響により、3月26日が初の出漁日となり、大井川港から40隻が出漁し、約4トンを水揚げしました。しかし、この春漁は事前の調査によって、主な産卵場である由比沖〜沼津沖を禁漁としたため、由比港では水揚げがありませんでした。また、5月31日に水揚げされたサクラエビは、産卵エビがこれまでより明らかに多く含まれていることを目視で確認したため、5月31日をもって春漁を終了しました。2019年の春漁での総水揚げ量は、2018年春の312トンを大きく下回る85.3トンでした。
 2019年の秋漁は2019年10月23日から12月23日の予定でした。秋漁としては2年ぶりの操業で、計21日出漁したものの魚影は薄く、12月23日の最終日は天候不良のため出漁を見送りました。秋漁の総水揚げ量は89.6トンで、春漁と合わせた年間水揚げ量は174.9トンで、いずれも戦後最低となりました。由比漁港と大井川港で行われた競りの1ケース(15kg)当たりの平均価格は7万5千円程度となり、2017年秋漁の約2倍となっており、一般消費者の手に届く水準には程遠いレベルになってしまいました。
 2020年の春漁は4月5日から6月5日の予定でしたが、強風の影響で初漁は4月14日となり、6月5日までに出漁できたのは13日間でした。総水揚げ量は過去最低の25.9トンで、2019年春漁の85トンを大幅に下回る記録的な不漁となりました。



       生桜エビです。



     こちらは桜エビ御飯です。


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