海苔
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更新日:
 2012年10月7日



◎海苔(seaweed)
 「海苔」を広辞苑で調べると「水中の岩石に着生し、苔状をなすものの総称」とあります。現在、市販されている海苔の大半は、養殖で生産されています。
 海苔の歴史は古く、日本で最初の法律書である大宝律令(701年)には、朝廷への調(現在の税金)として29種類の海産物が記載されていました。このうちの8種類が海藻で、その1つに海苔が表記されています。
 710年、平安京には海草類を売る「にぎめだな」という市場や、海苔や昆布を佃煮のように加工したものを売る「もはだな」という市場ができたそうです。しかし、海苔が市場で売られていたとはいえ、やはり庶民には高嶺の花で、上流階級である貴族の御馳走だったようです。また、987年頃に書かれた「宇津保物語」には、甘海苔や紫海苔といった具体的な名称で海苔が登場しています。
 海苔の養殖は、江戸時代に始まりました。これは、徳川家康が海苔好きだったため、家康に新鮮な海苔を献上するために品川、大森を中心とする東京湾で海苔の養殖が始まったと言われています。後に幕府は、献上された海苔を貴重な財源とし、市場で売るようになったそうです。これによって海苔が市場に出回るようになり、海苔は江戸の特産品として庶民にも親しまれるようになっていったようです。
 しかしながら、当時は、海苔のライフサイクルがわからなかったため、タネ付け作業は漁師の経験と勘のみが頼りだったそうです。当時は、海苔の胞子は海の中に浮遊しており、海岸の岩場に付着して夏を過ごし、秋口に果胞子を出すと思われていたため、竹ひびや海苔網を海の中に建て込み、それに自然に海苔芽が付着して成長するのを待ち、手摘みをするのが一般的でした。このため生産量も不安定で、長い間、海苔は相場商品として「運草(ウングサ)」と呼ばれていたそうです。
 江戸時代中期になると、簀で抄く四角い板海苔が登場しました。様々な具を芯にしてごはんを巻く海苔巻きが庶民の間で大流行し、屋台ずしと呼ばれる店も登場するようになりました。江戸っ子たちは、現在のファーストフード的感覚で海苔巻きを食べていたようです。
 この海苔の養殖を大きく変えたのは、昭和24年、イギリスのマンチェスター大学教授であったドリュー女史(Dr. Kathleen Mary Drew Baker)が海苔の糸状体を発見したことです。ドリュー女史は、海苔の胞子が春先から秋口までは貝殻の中に潜り込み、黒い糸のような状態(糸状体)で生長し、秋口に貝から飛び出し、海中を浮遊することを発見しました。この発見によって、初めて海苔の一生が明らかになりました。
 この結果、海苔の果胞子を貝殻に潜らせて育て、果胞子が糸状に成長して再び果胞子を発芽させ、そこで生まれた胞子を海苔網に付着させて育てる「人工採苗」という海苔の養殖方法が生み出されました。人工採苗技術の普及によって、それまでの天然採苗の不確実さをなくし、安定して海苔を生産できるようになりました。また、天然のタネ場が近くになく、それまで海苔の養殖ができなかった地区でも海苔を生産することができるようになりました。




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