利己的な遺伝子のお話

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更新日:
 2008年6月28日





 北海道に生息するキタキツネには、たまに、繁殖可能年齢になっても、自分で配偶者をみつけて子供を生み育てることをせず、生みの両親の元にとどまって年下の弟妹の子育てをせっせと手伝う個体がいる。そのように、自分自身は繁殖しないで血縁者の育児を手伝う個体は、ヘルパーとよばれ、キタキツネに限らず、一部の真猿類や鳥類などの間でもしばしばみられる。
 進化の理屈では、より多くの子孫を残した者が勝者となるので、繁殖活動をしないヘルパーは、最初から遺伝子を残す競争に参加していないかのようにみえる。ヘルパー行為は、自分以外の個体の子孫を残す手助けをするという意味で、利他的な行動であり、そのような行動を促すヘルパー遺伝子があったとしても、個体の子孫がヘルパーの代でとだえることになるため、ヘルパー遺伝子も必然的に消えてゆきそうにおもえる。それにもかかわらず、そのような利他的な行動が自然界で比較的普通にみられることは、長いあいだ進化論の謎とされてきた。
 実は、個体が子孫を残さなくても、”遺伝子”は周到に自分のコピーを増やしているようだ。それは、生物進化をもたらす淘汰圧は、種や個体にではなく”遺伝子”にかかるものとしてとらえ、個体間の遺伝子共有率を考えるとわかる。
 ”遺伝子”は、一つの形質についての情報をコードする核酸上の一まとまりの領域で、進化の過程で滅びたり繁栄したりする”遺伝の単位”である。
 たとえば、同じ種類の動物集団の中に、銀色の毛皮で金色の目をした個体と、栗色の毛皮で茶色の目をした個体がいたとする。雪に閉ざされた季節が長い地域では、周囲と体の色が一致している銀色の毛皮の個体の方が天敵にみつかりにくく、”銀色の毛皮の遺伝子”が残る確率が高くなるだろう。このとき、毛皮の色にかかる淘汰圧は、目の色とは関係ない。したがって、何世代も雪国でくらしているうちに、不利な”栗色の毛皮の遺伝子”はふるいおとされてゆき、動物集団はやがて、ほとんどが銀色の毛皮の個体の中に金色の目のものと茶色の目のものがみられるようになるだろう。一方、日光が強い地域では、目に色素が多い茶色の目の個体の方が、太陽に目がくらむことが少なく、天敵の接近に早く気がつきやすく、有利となるかもしれない。その場合、毛皮の色とは関係なく、”茶色い目の遺伝子”が残ってゆく確率が高くなる。もちろん、雪の季節の長さと、日光の強さに相関関係があれば、遺伝子にかかる淘汰圧にも相関があるかのようにみえるかもしれないが、本来は、毛皮の色と目の色の形質は、それぞれ独立に淘汰圧がかかる対象になる。個体は、このように単位ごとに淘汰圧にさらされる遺伝子の集合体である。
 通常は、個体が子供を多く生むことで、遺伝子のコピーがたくさん出来ると考えられている。銀色の個体が繁殖すると、銀色の毛皮の遺伝子は、それぞれの子供に1/2の確率で伝わる。確率的には、子供が2匹いれば1/2と1/2で、銀色の遺伝子のコピーが1つ出来、子供の数が4匹になれば、2つ出来ることになる。遺伝子が含まれている個体が長生きをして、子供をたくさん生めば生むほど、遺伝子自身のコピーもふえていく。栗色の毛皮の遺伝子も、茶色の目の遺伝子も、金色の目の遺伝子も、それぞれ同様にそれを含む個体にとって有利な環境で、子供がたくさん生まれることにより、コピーがふえてゆく。
 では、繁殖しないヘルパー遺伝子はなぜ消滅しないのだろうか。
 個体間の遺伝子の共有率を考えると、哺乳類では、普通、自分の遺伝子を1としたときに、両親からそれぞれ1/2の遺伝子をもらっているので、生みの両親との遺伝子共有率は1/2である。また、直系の子も遺伝子共有率は1/2である。
 さて、同じ両親から生まれた兄弟姉妹の遺伝子共有率も、自分からみると1/2である。一親等の親が1/2であることを考えると、二親等の兄弟が両親と同じ1/2なのは一見すると不思議におもえる。しかし、よく考えてみると、自分が母親と共有する1/2の遺伝子のうちの1/2は兄弟に伝わり、父親と共有する1/2のうちの1/2も同様に伝えられる。したがって、兄弟の遺伝子共有率は1/4と1/4で、あわせて1/2となる。つまり、親等距離と遺伝的な距離は同じではない。
 そうであれば、ヘルパー個体からみると、ヘルパー遺伝子のコピーが兄弟の中にある確率は、直系の子の中にある確率とは同じになる。ヘルパー遺伝子が、直系の子ではなく、弟妹を育てる手伝いを促したとしても、それによって残る遺伝子の数に差はない。さらに、もしも、親が単独で子供を生み、守り育て上げるのが大変であるなら、子育ての労力が分散してしまうと、自分の子供と弟妹のいずれもが無事に育たない可能性がでてくる。それなら、一腹目で生まれた子は、生みの両親のもとにとどまって、親と力をあわせて二腹目以降の弟妹を確実に育て上げたほうが、ヘルパー遺伝子もたくさん残る確率が高くなる。
 そのようにして、利他的な行動を促す遺伝子も、しっかりと進化の競争に参加している。実際には、食料資源の分布やライフサイクルの要因なども複雑にからんで、それほど単純ではないが、ようは、場合によっては、個体が直接繁殖しなくても、血縁者をたすけることによって、遺伝子は繁栄しえるということである。そのようにしてヘルパー遺伝子は存続してきたと説明できる。
 ヘルパー遺伝子がたすける相手は、基本的には”血縁者”でなければいけない。赤の他人では、遺伝子共有率はゼロなので、たすけた個体がヘルパー遺伝子自身のコピーをもっている可能性は非常に低い。もしも、血縁者でない他個体をたすける行動を促すような”非血縁者ヘルパー遺伝子”があったとしても、その遺伝子を含む個体がたすける赤の他人は、自分と同じ遺伝子を持つ可能性がほとんどないため、”非血縁者ヘルパー遺伝子”は自分のコピーを残すことができず、非血縁者に対する利他的な行動は、すみやかに消えてしまうだろう。
 生物の世界での利他的な行動は、ヘルパー行動以外にもみられる。たとえば、自分自身は雌であるにもかかわらず、卵を生まずに血縁コロニーの中で女王アリと巣の世話する働きアリなどがある。また、鳥の群れの中で、捕食者の接近に最初に気がついた個体が、自分が目立って犠牲者となる可能性をたかめてまでも、警戒の声をあげて血縁者がいる確率が高い群れの仲間をたすける行為も、利他的な行動の一種と考えられている。”利他的な行動を促す遺伝子”は、血縁をとおしてコピーをつくり続けてゆく。
 イギリスの生物学者リチャード・ドーキンスは、利他的にみえる行動もふくめて、生物の行動の背後ではかならず”遺伝子”が自分のコピーふやしている、というメカニズムを象徴して、”利己的な遺伝子”とよんだ。そして、遺伝子に翻弄される個体について、”生物の身体は生存機械(遺伝子の乗り物)である”と表現した。
 進化論の謎とされていた自然界にみられる利他的な行動に対する説明は、進化の単位を遺伝子と考えることによって、解決したようにみえる。
 さて、遺伝子によって、毛皮の色や目の色が決まるというのは、遺伝子が毛皮や目に含まれる蛋白質をコードしていると考えると、なんとなく理解しやすい。一方で、遺伝子が行動を左右するというのは、目に見える物理的な形質にくらべると、ややわかりにくい。そのメカニズムを、ちょっと強引に想像するなら、たとえば、ヘルパー遺伝子とよばれる核酸領域が、ある蛋白質をコードし、その蛋白質の作用である種の脳内物質の分泌が少なくなり、その結果個体が穏やかな性格になり、活発に繁殖活動するよりも手伝う行動にでがちになる、というような状況があるのかもしれない。利他的な行動をとるキツネは、なんとなくものぐさで、自分で繁殖するよりは手伝いでいい、と感じているだけかもしれない。
 ”利己的な遺伝子”という言葉は、「私たちが利己的な行動をとったとしても、それは遺伝子に左右されているためであり、生物は本質的に利己的なものであるからで、本人に責任はない」、という間違った解釈が一人歩きをした面がある。しかし、あくまでも、利己的な行動をとった結果として、本人の遺伝子を共有する子供や兄弟などの血縁者が適齢期まで無事に育った、という成果がなければ、その行動には進化論的な意味はない。人間社会の場合は、むしろ「情けは人の為ならず」というくらいで、利他的に行動しているほうが、結果よしとなるケースが多いかもしれない。

参考文献
 中原英臣、佐川峻:“利己的遺伝子とは何か”、BLUE BACKS、講談社(1991)

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