チェルノブイリ原発事故のお話

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更新日:
 1996年2月9日






◎チェルノブイリ原発事故(1996年2月2日、朝日新聞)
 チェルノブイリ原発事故 1986年4月26日未明、ウクライナ北端にあるチェルノブイリ原発4号炉で、「停電時の炉停止実験」をしていて炉が大爆発を起こした。原子炉のふたが吹き飛び、大量の放射性物質が飛散した。北のベラルーシに放出放射能の約70%が降下、今も汚染が続いている。4号炉はコンクリート板で囲んで「石棺」としたが、いたる所に穴があき、問題になっている。同原発はウクライナの電力不足を背景に、なお1、3号炉を運転中。機械室の火災事故のために止まった2号炉も修理中だ。西側の国々は同原発の全面閉鎖を求めている。
 この事故で、少なくとも消火活動にあたった約30人が死亡し、住民約500万人が被ばくしたと考えられている。被災者支援には日本各地の大学、病院の医師らが熱心に取り組んでいる。とくに広島大はベラルーシとの共同研究で、胎児の先天異常の増加を指摘している。
 地球規模の放射能汚染をもたらした旧ソ連のチェルノブイリ原発事故から、4月で満10年になる。広大な汚染地を抱えるベラルーシでは、猛毒のプルトニウム入りの微粒子を吸い込んだことによる肺がんの発生など、歳月を経てから現れる病気の多発が心配されている。こうした中で信州大医学部の医療チームと日本チェルノブイリ連帯基金(事務局・長野県松本市)は、医師らを送り込んで肺がんの検診に乗り出した。医療器具の不足や厳しい経済事情などに悩みながらも、来世紀まで続きそうな核災害の後遺症に、草の根の支援が始まった。

・微粒子付着
 ミンスク市の国立腫瘍放射線医学研究所の病室で、原発に近いゴメリ州のベテリンスク地区に住む農業ピョートル・ベルニラさん(63)は激しくまくし立てた。「原発を建てた連中はどこへ逃げて行ったのか。健康な体を返せ、と言ってやりたいんだ」
 昨年10月、肺がんの疑いがあると診断され、右肺の手術を待っている。地元の病院では薬が不足し、入院中、利尿剤を毎日2錠のむだけだったという。被ばくとの因果関係ははっきりしないが、ホットパーティクルという微粒子が「容疑者」として疑われている。これは、事故で大気中に飛び散ったプルトニウムなどを含み、住民の肺に付着して放射線を出し続け、肺がんを引き起こす危険がある。
 住民らは、汚染地でとれたジャガイモや野菜を毎日食べてきた。こうした食物を通じた体内の被ばくも確実に進んでいる。ベルニラさんは「地元では子供や老人も風邪をひきやすくなった。でも、ほかに食べるものがない」と訴えた。被ばくすると、まず数年後に甲状腺のガンが多く発生し、一定の年月の後、臓器の癌が増えると考えられている。
 現地住民らは、その意味で最も心配な時期にさしかかっている。

・国情の違い
 現地で医療支援を続けてきた信州大チーム、日本チェルノブイリ連帯基金は昨秋から、同放射線医学研究所やベラルーシ保健省と協力し、X線写真と、たんの検査による肺がん調査を始めた。いま現地の汚染地と非汚染地の住民計約3000人を対象にした予備検診を進めており、今年夏までにさらに1万人を追加する。
 1月下旬、信州大の久保恵嗣講師ら医師4人が現地に入り、モデル地区の選び方、X線写真の「読影」の基準のとり方、細胞標本のつくり方などを現地の医師らと打ち合わせた。
 住民の肺のX線写真を、汚染地と非汚染地で約1500枚ずつ分析したところ、肺がんの疑いの濃い患者は非汚染地の3人に対し、汚染地では9人だった。諏訪中央病院の原田和郎医師らは「日本の検診では、ほぼ同じ人数、構成なら、がんの疑いの強い人は1人以下。汚染地でとくに肺がんが増えている可能性がある」と見る。
 こうした活動を通じて、両国の国情の違いが障害になるケースもでてきた。たとえば日本側の医師はすべて無償だが、現地では低い給料や厳しい経済情勢を反映して、日本側に報酬を求める医師が少なくない。
 今回の予備調査では、X線撮影が期日までに20%弱しか終わらなかったが、現地側が独断で、過去に撮影された写真とまぜこぜにして処理していたこともわかった。汚染地ではX線の撮影装置や現像用具が古く、写真の質が悪い。撮影技術も未熟で、受診者がブローチをしたままだったり、動いたりしていることも多い。
 調査の信頼性にかかわる混乱を目にするたびに、日本の支援チームのメンバーは戸惑っている。だが、同基金の高橋卓志事務局長は「苦しんでいるのは汚染地の住民。障害は根気よく乗り越えていくしかない」。
 同基金は1月、現地に事務局を開設した。甲状腺の病気の治療を手がけてきた外科医の菅谷昭医師(53)は、信州大助教授の肩書を昨年末に捨てて現地に移住し、手術に立ち会うなど活動を始めている。


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