南天のお話
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更新日:
 2016年5月17日




◎南天のお話(2016年2月5日)
 ナンテン(南天、学名:Nandina domestica)は、メギ科ナンテン属の常緑低木です。高さは2m位、高いもので4~5mほどになります。幹の先端にだけ葉が集まって付く独特の姿をしています。葉は互生し、三回羽状複葉で、小葉は広披針形で先端が少し突きだし、革質で深い緑色、ややつやがあります。先端の葉の間から、花序を上に伸ばし、初夏に白い花が咲き、晩秋から初冬にかけて赤色(まれに白色)の小球形の果実をつけます。
 南天は中国原産で、日本には平安時代に中国から持ち込まれました。一説には平安初期、弘法大師(空海)が804年、唐から南天を持ち帰ったという説があるそうです。弘法大師が南天でできた古い杖を石垣に突き刺したところ「弘法も杖?の誤り」か、各地に南天が根付いたという伝説が残っているそうです。
 「南天」が初めて日本の書物に出てくるのは、奈良時代に編纂された「出雲国風土記(いずものくにふどき)」だそうです。和銅6年(713年)5月、元明天皇によって編纂が命じられた「出雲国風土記」は、天平5年(733年)2月30日に完成し、聖武天皇に奏上されたようですが、この中に「南天燭」の文字があるそうです。
 さらに鎌倉時代の公家、藤原定家の日記である「名月記」には、南天が一般的になっていたことが記載されているそうです。名月記は、治承4年(1180年)から嘉禎元年(1235年)までの56年間にわたって藤原定家が記録した日記ですが、その中に「中宮権太夫が南天竺を前栽として植えた」とあり、鎌倉時代にはすでに庭木としていたようです。
 日本国内では西日本、四国、九州に自生しています。これは、当初、栽培されていた種が野生化したものだと言われています。山口県萩市川上の「川上のユズおよびナンテン自生地」は、国の史跡名勝天然記念物に指定(1941年(昭和16年)8月1日指定)されています。
 中国では古来、「南天燭」、「南天竹」などの名前で呼ばれていたようです。「南天燭」の「燭」は、南天の実が「燭(ともし火)」のように赤いことから名付けられたようです。「南天竹」の「竹」は、株立ちが竹に似ていることから、呼ばれるようになったようです。
 日本名の「ナンテン」は、中国名が短くなっただけのようです。この「ナンテン」という音は、「難転」、即ち「難を転ずる」に通ずることから、日本では縁起の良い木とされてきました。戦国時代には、武士の鎧櫃(鎧を入れる蓋付きの箱)に南天の葉を収め、出陣の折りには枝を床にさし、勝利を祈ったそうです。また、正月の掛け軸には水仙と南天を描いた「天仙図」が縁起物として好まれました。
 寺島良安によって江戸時代中期に編纂された「和漢三才図会」という百科事典には「南天を庭に植えれば火災を避けられる。とても効き目がある。(現代語訳)」という記述があるそうです。このことから、江戸時代は、「火災除け」として玄関前に南天を植えた家が多かったようです。




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